FBでシェアされていたいい動画がありましたので、文字お越ししてUPさせていただきます。
神道の話です。わかりやすくまとめられています。
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「神道」
宗教が教えならば、神道は道である。
一神教。キリスト教にはイエスが存在し、仏教にも釈迦が存在する。
多神教、八百万の神。神道の神は自然のあらゆる者に宿り複数の髪が存在する八百万((やおろず)の神と呼ぶ。また、イエスも仏陀等も「八百万の神」に含まれる。
西洋の神は全知全能で決して間違いを犯さない正義の象徴であるのに対し、日本の神は祟りや災いを起こす怖い存在である。
キリスト教は過ちを犯して懺悔をすることで神から許しを乞う。
神道は自然災害や祟りなども神が起こすと考え祭祀や祭りを行い神々に感謝の意を唱える。
西洋では努力や反省をすれば神に近づくと考え未来に答えがあると考える。
神道は人の祖先が神であるため祖先を敬い過去に答えがあると考える。
伝統を重んじる日本人と進化を求める西洋人の違いである。
宗教には教典や聖書と言った教えがある。
神道には教えは無く一人ひとりが自然から感じ取るものである。
キリスト教やイスラム教は神の教えが存在し真理も人間の生き方も決まっている。
神道には教えはなく自らが答えを求めて歩まなくてはならず、神はその歩みを見守るだけで道は示してくれない。
天照大神はニニギの命に稲を育て地上を統治することを託す。
天照大神の孫であるニニギの命が降臨した事で天孫降臨と呼ぶ。
さらに高く積んだ稲穂に神霊が降りる場所として高千穂を選んだ。
稲を植えると雑草が生える。この雑草を取り除くこと。つまり神道とは自然の理に従う事であるのと同時に自然に逆らう事である。
ただし、悪を取り除くのではなく善を育てるのに妨げるものがあれば取り除くという考え方である。
虫は野菜を食い荒らすが、そのおかげで交配が進む。人の善とは人が人の為に作られ自然の中では悪も善となる。その中で学び取るのが人生であり子が親を敬い親が祖先を敬う。
この当たり前で当たり前でない思想の根源が神道である。
初詣、節分、ひな祭り、七夕、七五三、成人式・・これらは全て神道の行事である。
我々は知らず知らずのうちに神道という道を歩んでいる。西洋の文化を取り入れながら伝統を重んじる柔軟さは、神道が我々日本人に与えた答えなのかも知れない。
以上でした。